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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 州 : [す, しゅう] (n) sandbank
シドニー(、2001年の人口:24,115人)は、カナダのノバスコシア州にある都市共同体。ケープ・ブレトン島の東海岸に位置し、行政上はケープ・ブレトン地域に属する。 1904年に自治体となったが、1995年8月1日をもってシドニーの自治体組織は解散され、ケープ・ブレトン地域に併合された。現在は島の中心都市になっており、近隣のシドニー・マインズ、ノース・シドニー、ニュー・ウォーターフォード、グレース・ベイのコミュニティとケープ・ブレトン産業圏を形成している。 == 歴史 == シドニーは1785年にジョゼフ・フレデリック・ウォレット・デスバレス大佐によって建設された。地名はその一年前にデスバレスをケープ・ブレトン島の植民地の総督に任命した、元イギリス内務大臣のに因んだものである(オーストラリアのシドニーも同様に彼にちなんでいる)。島に到着したデスバレス一行は、ほとんどが貧しいイギリスからの移民や軍役を解かれた兵士たちだった。さらに、当時はアメリカ合衆国が独立したため、同国のニューヨーク州から逃れてきたロイヤリストと呼ばれる人々もその中に含まれた。デスバレスは新しい植民地に、シドニー港の南西の海沿いを選んだ。そこはシドニー川が谷を侵食してできた溺れ谷の河口部で、スパニッシュ湾の一部分でもある。それから1820年まで、シドニーはケープ・ブレトン島のイギリス領植民地の首都であった。その後、イギリスはフレデリック (ヨーク・オールバニ公)の主導でシドニー港一帯の豊富な石炭資源をカナダにリースし、それと同時に植民地は解散され、隣接していたノバスコシア州に編入された。1826年には、鉱業協会へシドニー港の開発権をリースではなく譲渡として明け渡す動きがあった。 20世紀初頭、シドニーには世界最大の鉄工所が建設された。鉄工所はこの地域に数多くの炭鉱を持っていたドミニオン・コール社の所有だった。シドニーの経済はその鉄工所と港の間の鉄道輸送で成り立ち、グレース・ベイやニュー・ウォーターフォード、シドニー・マインズやリサーブ・マインズなどのケープ・ブレトン産業圏においてもそれは重要な産業の一部になっていた。このような工業化によってシドニーは好景気に沸き、1903年には自治体になった。しかし、その後は石炭や鉄鋼業界にとって厳しい時代が続き、1960年代後半には国と州に運営が引き継がれたが、双方とも2001年の終わりに完全に閉鎖された。シドニーは現在、経済の多様化の波を受けて観光や文化、軽工業や情報技術(IT)などでの経済発展の可能性について検討している。 シドニー港は第二次世界大戦中にカナダ海軍のHMCSプロテクターという基地が置かれ、ヨーロッパへ向かう護送船団に対して補給を行う重要な役割を果たした。また、この地域の石炭や鉄鋼の生産は大戦での連合国軍の勝利に不可欠なものだったが、当時の産業大臣C・D・ハウがカナダ中部に鉄鋼生産の拠点を移したため、この地域を含む沿岸部は打撃を受けた。さらに、大戦後の軍需減少と相俟ってシドニーの鉄鋼業は衰退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シドニー (ノバスコシア州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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